暁の用心棒

 ほとんどセリフがないのが幸いしてか、アメリカでスマッシュヒットとなり、続編も作られた「見て楽しむマカロニ」。何があっても決して焦らない飄々とした流れ者の主人公の動きにあわせたのか、ゆったりしたリズムを刻むエレキギターの音色が全編まか不思議なムードを醸しだす。テンポは早くないのに、リズム感があるので楽しめるのだ。
 人影のないメキシコの村へ流れ者がやってくる。この暑いのにポンチョのかわりに毛布を肩に巻いたヒッピースタイル。トニー・アンソニーは背が低いヤサ男。すでに『荒野の用心棒』のパロディみたいだ。まったく名前は名乗らないので、まさに「名無しの男」でもある。

暁

 アメリカ軍からの援助金を受け取りにきたメキシコ政府軍を、盗賊のアギーラ(フランク・ウォルフ)がマシンガンで皆殺しにし、政府軍に化ける。それを見ていた流れ者が、突然、騎兵隊の衣装を着こんで登場、金を山分けにするならアメリカ人の俺が話をまとめてやると持ちかける。取引は成功し、金を見事に奪うが、アギーラは分け前は1ドルコイン一つだと言い渡す。当然、銃撃戦。が、流れ者は一人なのにやたらに強く、次々とアギラの部下が殺られていく。暗闇の中で激しく光る銃の焔が美しい。アギーラはたまらず、部下を引き連れて逃げる。不気味に追跡していく流れ者。
 アギーラに捕まった流れ者は拷問にあうが、アギーラの情婦で賞金つきのならず者でもあるマリアを倒し、さらわれた女を連れて逃げ出す。町へ戻った流れ者は、女に渡された散弾銃で次々とアギラ一味を倒していく。このショットガンを腰だめで撃つスタイルはそれまでのマカロニにはなかった味わいでカッコイイ。ペキンパーも『ゲッタウェイ』でマックィーンにやらせたが、これの影響かも。日本では一足先に二谷英明が『散弾銃の男』(1961年 監督=鈴木清順)なんてのをやっていたけど。
 最後は、散弾銃の流れ者とマシンガンのアギーラが決闘する。アギーラの口癖「俺はどんな男だ?(フェアな男さ)」を流れ者が口にし、フェアな戦いを匂わせておいて、なんのことはない流れ者は先に銃口を開いてあっさりアギーラを撃ち殺すしてしまう。ここは笑い所だ。死んだアギーラの口に1ドル銀貨を挟む流れ者(原題は「歯の間の1ドル」)。井戸から金の入った袋を2つ引き上げると、そこへ騎兵隊が金を取り戻しにくる。流れ者は、動揺もせず賞金首の分として袋を一つもらい、「経費が1ドルかかってる」とうそぶいて去っていく。正義などまるで興味がない、ウサンくさーい賞金稼ぎのアンチ・ヒーローなキャラクターが素晴らしい。
 騎兵隊の指揮官を演じているのは、『荒野のドラゴン』でチェン・リーにやられていたデンマーク人のラース・ブロックだ。